ニューイヤー駅伝はなぜ群馬?群馬以外で行ったことはある?いつから?
元日といえばニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝競走大会)ですよね。
ニューイヤー駅伝は毎年群馬県で開催されていますが、なぜ群馬なのか疑問に思いませんか?
他にもっとよさそうなところがありそうなのに…。
今回はそんな疑問に答えていきます。
他にも気になる、
- ニューイヤー駅伝を群馬以外で行ったことはあるのか?
- ニューイヤー駅伝を群馬で開催するようになったのはいつから?
についても詳しく書いていきたいと思います。
ニューイヤー駅伝はなぜ群馬で開催するの?
ニューイヤー駅伝を群馬県で開催する理由は3つあります。
まずは中継地が一か所で済むこと。
駅伝をテレビ放送するためには電波があることというのが条件になります。
電波がないと途中でプツンと切れて放送事故になってしまいますからね。
普通100kmの駅伝コースを網羅するにはいくつかの中継地が必要になります。
実際に箱根駅伝もテレビ中継をするために電波の中継地を増設しています。
そうなるとお金もかかってしまうんですよね。
その点、群馬県は赤城山があるので中継基地が1か所で済むという大きなメリットがあります。
2つ目は天候条件がベターであるということ。
ニューイヤー駅伝が行われるのは1月1日です。
この冬の時期に駅伝を開催するにはそれなりに天候が良い地域じゃないと無理ですよね。
雪が積もるようなところや気温がマイナスになるようなところでは絶対無理!
となると、それだけで駅伝ができる地域は限られてきます。
群馬県はからっ風の心配は多少ありますが、雪や気温は心配する必要がないというのが選ばれた一つの理由になりますね。
3つ目は群馬県がニューイヤー駅伝の開催に非常に積極的だったこと。
駅伝をやるには交通規制が必要だったり、関係者も多数集まるので開催地の協力なしには開催が不可能です。
ニューイヤー駅伝が群馬県で行われた際、県の全面協力があり運営者側もやりやすいと感じたのも理由の一つとなります。
元日から大規模なイベントを行うには関係者も大変なのに、快く協力してくれるのはとても高評価になりますよね。
他にも特別協賛の山崎製パンの伊勢崎工場がニューイヤー駅伝のコースの近くにあるというのも多少理由になっているかもしれません。
そういえば、ニューイヤー駅伝ってみんな予選を勝ち抜いて来てるんでしょうか?
箱根駅伝のように「シード権をかけた争いが…」なんてアナウンスがないので、シードってないのかな?と気になりますよね。
こちらの記事に詳しく書いているのでよかったら読んでみてくださいね。
>>ニューイヤー駅伝にはシードがない?出場資格や出場枠は?
ニューイヤー駅伝を群馬以外で行ったことはある?
全日本実業団対抗駅伝競走大会(通称 ニューイヤー駅伝)は初めから群馬県で行われていたわけではありません。
第一回は三重県で開催されました。
伊勢神宮を発着するコースだったんですが、伊勢神宮では全日本大学駅伝も行われるようになりました。
大規模な陸上の大会は1都市年1回という原則ができたので、それによって全日本実業団対抗駅伝競走大会は滋賀県の彦根市周辺に場所を移すことになりました。
しかし滋賀県はコースが狭すぎて運営がうまくいかなかったので、その年1回だけの開催で終わってしまいました。
その後は現在までずっと群馬県で開催されています。
ニューイヤー駅伝を群馬で開催するようになったのはいつから?
全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)が群馬で開催されるようになったのは1988年の第32回大会からです。
この年から1月1日に行われるようになったので通称ニューイヤー駅伝と呼ばれるようになりました。
しかしこのころのコースは今とは違いました。
現在のように主要都市100㎞、7区間を走るコースとなったのは2001年の第45回大会からです。
全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)の開催場所の歴史をまとめると以下のようになります。
- 第1回(1957年)~第30回(1985年) 三重県
- 第31回(1986年) 滋賀県
- 第32回(1988年)~現在 群馬県
まとめ
- 中継地が1か所で済むから
- 冬の天候が比較的良いから
- 群馬県が大会の開催に協力的だったから
駅伝をテレビ放送するには様々な条件や人の協力が必要なんですね。
知識が増えるとよりニューイヤー駅伝が楽しめそうです。